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世界を描くための覚書 その7
日本の天皇陛下は世界でも位の高い人ランクいくつかに入るという話ですが
東方の世界にも何人か位の高い人がいますね。
中でも月のお姫様という人がいるんですが、高度な文明をもつ月の王族なんでしょうから
これはきっとすごいことに違いがありません。

しかしながらこれが界隈ではろくな描かれ方をしませんで
竹林のお屋敷に引きこもってゲームをしたりマンガを読んだりとか
まあ親しみやすいキャラに描かれることがとりわけ多いですが・・
何しろ罪を犯して不浄の大地に落とされた身分のはずが
釈放ですよ!と迎えに来た同胞を皆殺しにし、
そのまま牢獄たる地上でゲームやマンガ三昧なわけですから
とんだイレギュラーなことには間違いがありません。


そんなに地球がいいのか、それとも月がいやなのかはわかりませんけども
そのお姫様にもわずかに共感できるところがあるかな・・と思うのがつまり
「幻想郷にいることを選んだこと」

原典である「かぐや姫」もそうですが、地上に深い愛着をもち
離れがたい思いであったことは信じてあげたく思うわけです。
もちろんその為に失ったものや捻じ曲げてしまったもの、たくさんあって
彼女に因縁を持つ人間もその中で暮らしていかざるを得ないんですけども、
罪が許されることを放棄して、永遠という時間を贖罪に費やすことを選ぶ程度に
彼女は幻想郷を愛してるんだろう、と。

同じようにさる「世界」に愛情を注ぎ、その中で暮らすことを選んだものとして
まあもこたんには悪いんですが、そこには美しさを感じずにはいられません。



OERは1年半にわたってひとつの物語に考えを巡らせていました。
もちろん最初から今まで同じ結論をずっと抱いていたわけではありませんが
ここに至って最後に形にしようとしたのは
そんな「東方の最も美しいもの」なのかなと思い始めています。それはつまり

生まれ、生き、生を終える
幻想郷で生きる人間を描く、というのがこのタロットの役目だったんだろうと
僕は今結論づけようと思ってます。
それはゲームに出てああだこうだやる人たちだけじゃなくて
東方という「世界」に出会って、そこで仲間を作ったり
時にそのキャラがゲーム画面の外でやっているのと同じように酒を飲んだり
世界の外へ出る日が来ても、もしかしたらずっと仲良くできるかもしれない
そんな全ての人間達のこと。



貴女が生きる、この世界

例大祭の新作がもうそろそろできそうです。
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2011.03.06 02:18 | 日記 | comment[0] trackback[0] TOP↑
世界を描くための覚書 その6
「アリマリは俺のジャスティス」に代表される類の文言が界隈には結構ありまして
個々人のキャラ愛に基づいた揺るがぬ信念がそこにギュゥと詰まっておるわけですが、
まあ各人が各々の正義を主張して仲良くやっていけるならまだしも
世間的には正義がぶつかると戦争が始まったり血が流れるなど
諸々の問題が発生することの方が多いことがわかっています。

さすがに東方ジャンルで正義がぶつかって血が流れた例は知りませんが
本来的には多様である「正義」という言葉のもとに起こされたであろうアクションにより
一部の人々が色めきたったり面白がられたり反発されたり、
といった例はままあるように感じています。
先日もありましたねえーなんとか監視隊でしたっけ。
まあまあ狭い世の中ですが面白ごとには事欠きませんね


同人の中のいちジャンルに過ぎなかったこの界隈が
かの現象によって大きな変質を迎えつつあった時に一部で発生したある種の対立構造を
僕はそれまでの主流であった暗黙的な価値観による自浄作用のようなものと捉え
便宜的にではありますが「それまでの」正義として捉えた上で、
新たに生まれたり育まれたりした多くの新しい価値観や自由な楽しみ方を
これまた便宜的に「新しい」正義と捉えることにしたわけですが
これをどちらがホンモノの正義なのか?と思案するのは面倒くさい・・・
というのは言いすぎにしても、そういった正義の対立のどちらかに僕自身がよることや
どちらかに与することには重きを置けないわけです。

「タロットに表わされた物語から読解と解釈により意味を導く」この作品だからこそ、
作者は「こちらがホンモノの正義!」と声高にモノ申す立場になってはいけない。
しかして、ニュートラルなストーリーテラー、寓話の語り部、という役割を
時に僕自身、時にカードに描かれているキャラクタが担う形で
本シリーズは構成されるべき・・・というのがこの作品の制作上の柱の一つ。


カードの二人は、眼前の事実にガラスの目を向けて
正義を主張する能力を持った「新聞記者」という生業の持ち主なわけです。
それは時に真実を「作りだす」能力としても用いられて、
過去には様々な権力者の後ろ支えにもなってきた。
彼女らが声高に訴えるものが本当の正義なのかどうかは、
彼女たちをさらに一段外側から、俯瞰してみないと判断できないのではないのかなと。
そうして生まれる「正義」じゃないと、守る価値は宿らないと思うのです。

2011.02.27 18:04 | 日記 | comment[0] trackback[0] TOP↑
世界を描くための覚書 その5
OERとはなんぞや、というとまあいろいろあるんですけども
少なくとも今のD.wattがあるのは間違いなくイオシスのおかげであって
イオシスを頑張って廻しているみんなのおかげであって
それらがないと成立すらしなかったやもしれない代物であるな、
と最近よく思っております。

D.wattやその音楽、制作のスタイルがイオシスのおかげで今あるのであれば
僕そのものであるOERもイオシスの影響で今の存在があると言わざるを得ませんで
しがらみもある中、その事実は積極的に肯定できないといけない。
たとえ今D.wattがイオシスをやめたとしても
そんな事実今更変えようがありませんからね


さてそんな中、イオシスの今を形成した要因をひとつひとつ検証するのですが
やはりどこから切ってもアレが一つの転換点であることに疑いの余地はありません。

東方ジャンル参入以前にいくつかのヒット作に恵まれたやや後、
東方アレンジCDとしては2作目として制作したさる作品ですが
アレで一躍脚光を浴びたことがイオシスにとってはまぎれもなく「運命の車輪」でして、
そしてそれにとどまらずあの時期に一斉に訪れた新しいもの達が
東方とその界隈という世界に与えた影響は、当事者補正の影響を加味しても
実に明らかであるなあという考えで僕はいるわけです。

ちなみに、同じCDに入ってる「月夜」の方が個人的には思い入れがあります
まあ別にあの曲僕が作ったわけじゃないんでね・・・
イオシスはいろんな個性の集合体でありますからして
あらゆるイオシスが全て僕なわけでも、あらゆる僕が全てイオシスなわけでもない。
ライトに聞かれている方はイオシスがそのようなものであると御存知ない方も多いようですが
その辺をわかってくださっている方は、そのように楽しんで頂けていると信じております。


と、こんな考察を経つつ運営されているOERなわけなのですが
だからこそOERはイオシスではないとD.wattは口を酸っぱくして言うわけですね。
僕はイオシスの中にあってイオシスのあるべきイメージを持っているからこそ
OERがイオシスでないことを常に、今までもこれからも宣言しながらやっていこうかなと。

最終的には「OER×IOSYS」っていうこともやってみたいと思ってますよ
違うものだからこそ成立するコラボレーションていう意味で。
2011.01.26 20:18 | 日記 | comment[0] trackback[0] TOP↑
世界を描くための覚書 その4
「人に見てもらう」為にものを作るわけですから、
できたものには最低限ある程度の受け取りやすさがないといかん・・・
なんていう割に昨年来の僕の作品群はわかりづらいものが多いんですが
そこは開き直りと言う言い分も。


さて
好き嫌いがプラスとマイナスの関係だとして、
プラスでないならせめてマイナスの方が、ゼロ・無関心よりもいくらか…
なんていう議論は割とありがちなお話だなと思うのですが
じゃあ「好かれるのと嫌われるのはどっちが楽か」という話題があった時、
好かれる方が楽だと言い張るのはちょっと抵抗がある。
じゃあもっと多くの人に好かれる曲を書けよという話になりますからね

嫌われるための方法はちょろちょろ思いつきます、
攻撃する・馬鹿にする・意地悪する・嘘をつく。
また困ったことに、良かれと思ってのことがそのように映ることもあります。
企画をよい方向に導くための介入が茶々入れや意地悪に見えたり
善意から欠点を指摘することが時に批判や攻撃に見えたりもする。
知恵のある人は誰かにそれを施す時、常にそんな可能性に身を晒してますよね


僕のような道半ばの者は、よくよくそういった善意の施しを受けながら
耳の痛い事柄に背を向けてはならないわけですが
心を見透かすように思うところを言い当ててくる偉大な先達を前にしては
何しろひとつの言い訳もすることができません。

制作におけるあらゆる思考や意思疎通に妥協がないか
怠惰でスケジュールやコストを無駄にしていないか
伝えるべき事柄とできた作品に質的なブレはないか
作品にはこだわりや愛情、共同作業者には敬意と尊重をもって取り組めているか
そして自分に慢心はないか、他者に対する不当な卑下はないか

例えばそれら全ての振り返りに客観的な事実を見出せる賢者を前にした時
自分はどれ位の反省をせねばならないか。



たとえ人々に嫌われて地底へ封じられた王様でも、その言に耳を傾けることで
誰も伝えてくれない「本当のこと」に気づくことができるならば
地底というのはそれは住みやすいところに違いなかろうと。
人々に捨てられて居場所を失くした神様とはえらい違いです。
2011.01.16 13:43 | 日記 | comment[0] trackback[0] TOP↑
2011年まさかの開幕ということで
つい今朝方、1/1の午前6時50分とかいうふざけた時間の飛行機に乗って
札幌に帰ってきたまさかの!まさかのD.wattでございます。
皆様明けましておめでとうございます。


さてさてさてですよ
いよいよもって2011年ということですが
私どもOERには正月がですね!ございません
というくらいの気合いで早速制作をすすめさせて頂いております。
まあ甘いものが好きなのでおしるこくらいは食べますが
次回作の為に時間を見つけてはアレコレ思索を深めておりまして
とか言いながら普通に商業の仕事をスコスコやっているんですけどもね
いろいろ時間配分にもままならぬところを上手くやる次第でございます。

冬コミでスペースにいらして下すった皆様本当にありがとうございます!
今回は告知も十分でなく、何より作品が不十分という有様ですが、
とはいえこの冬はそれ以外の所で頑張って音楽をやっていますので
ひとつ前の記事で紹介致していますそれぞれの作品をどうぞよろしくお願いされたく存じます。
あと会場でお会いできた皆様本当にありがとうございました!
北極は氷河期ですが元気にやっております!


えーとですね
旧年はコラボや外部提供、また特に後半パフォーマンスの機会も多く
制作に直接フィードバックできるものを実にたくさん得ることができまして
「戦車」や冬のイオシス作品他などに強く反映できたのではないかと思うのですが、
一方で制作に傾倒しすぎてプロデューサとしての活動はさほど多くなく
若干の反省を持ち帰った一年だったかなと思う次第です。
自分が作りたいものばっか作っててもしょうがないですからね
少なくとも仕事で作ってるものについては、
人好きするものを然るべき人に届ける企画運営を粛々とやりたいものです。

逆に新年のOERの計画は段々クリアになってきた所もあるのですが、
一つにはパッケージ制作以外でも形に残せるものを作れるよう
模索しておるところでございましてですね。
タロットを通じてまるまる1年以上費やして深めた「OER」という在り方を
忠実に遂行していくっていうのが目標なのかなと思っています。


いろいろと悩ましい事もあり、どうせうまくいかないであろう新年ですが
別にいつものことなので仕方がありません
そう、仕方がないのです。
2011.01.02 03:58 | 日記 | comment[0] trackback[0] TOP↑
OTAELI JUKE
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