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自作の事後研究 「Tsukuyomi and Amateras」編
tsukuyomi and amateras

作詞 七条レタス


その指に刻んだ契約と
この喉を満たした賛美歌を
太陽は聞いている

陽はやがて 銀色の飛沫が彩る
月光を飲み込んで 昇るだろう

紅の太陽は紺青の夜を背にして
弾けて燃える運命を笑った


真夜中の太陽が焼いた目の痕に
壊れた時計の針を埋め
歯車の錆び付いた鈍い音の呼び声に
二度とは来ぬ朝の名も忘れ

陽はやがて 銀色の衣と揺蕩う
月光を従えて 眠るだろう

紅の太陽が隠した宵闇を泳いで
蕩けて消える運命を夢見た

この息が重ねた瞑想を
この肉が溺れた洗礼を
太陽は知っている


太陽は聞いている その色を讃えた夜想曲を
日輪に侵されて 月が謳う悦びを
聞いている
太陽は聞いている

銀灰の満月は紅の太陽に照らされ
その身を縛る運命の枷を抱いて廻る
紅く咲いた夜を廻る

太陽は聞いている
夜毎響く賛美歌を
太陽は聞いている


------------------------------------


オタエリ東方の第3弾・・ということだったんですが
マジレスこの作品を作りだすまで紅魔郷って殆どやってなくてですね。
何しろ前の2作はすごいこだわりがあるのに対して
この作品はそもそも「紅魔郷」を選ぶまでにかなり葛藤がありまして、
勇パルとかにと雛とかかなすわとか、好きなカップリングも他にあるわけだし
そっちをやろうかとも思ったんですが、やはり紅魔館をほっておくわけにはいかんと。

実はレミ咲をはじめとする紅魔館キャラっていうのは
それまで11作出してるイオシスの方でもあまりいじられていなくて、
タイトルを引っ張るようなリードトラックや電波ソングでは
紅魔館キャラがあんまり出てきてないです。(チルノが例外なぐらい)
ネクロがやたらいじられるのに対しセプテットやオーエンをいじりたがらない、など
界隈での愛されっぷりに対し何故かイオシスでは不遇な彼女らですが
確かにそれらの楽曲の完成っぷりに敬遠する節もあり。
とりあえず紅魔郷をやり倒したり改めてセプテットを聞きなおしたり
同人誌読んだりpixivを見たりラーメン食べたりしてたんですが
個人的に一番しっくりきたのが「求聞史紀」に載ってたAQNの妄想設定でした。
「咲夜が吸血鬼退治に来たヴァンパイアハンターで、返り討ちにあい運命を変えられた」
とかっていうやつ。


ある時、その「運命を変えられる」っていうのをふと冷静に考えたときに
これはものすごいことだなあ、絶対的だよなと何の気になしに思い至るわけです。
もし紅魔館の皆さんにとって、文字通りレミリアが運命を握る主人であるならば
日の下に居られない身でありながらも、そこにおいては
まるで太陽のように絶対的であり続ける彼女の存在感、とか
それをなぞらえる何かの名前、例えば太陽の神様・・とか
(タイトルのモチーフに神様の名前を使う案が先にあったことにもよります)
その光を浴び、時に照り返すことで自らも輝くお月さまこそが咲夜ではないか、とか
そこで認めてしまったレミ咲というカップリングの強烈な必然性とか
「真夜中に昇る紅の太陽」「紺青の夜に咲く銀灰の満月」
という実によくできたビジュアルイメージとか
先に決めうちでジャケイラストをお願いしようと思っていた
yuyayuyoさんのpixivで見た日本画→紅魔館から敢えて離れた日本的な視点、とか


そういうのを漠然とイメージするようになったところで、
3部作のなかで一番伝わりづらいタイトルである
"Tsukuyomi and Amateras" が決まったっていうのが制作上のキーポイントでした。
ある意味では「ぼくの考えた」が一番突き抜けているかもしれない。


とはいえ、今回の作品は比喩に比喩を重ねたり
原作のイメージからそもそも矛盾する要素(太陽とか)を敢えてあてたり、と
相当に自己満&おいてきぼりといった色の強い作品になるのが分かっていた上
折込済み!と嘯いて突っ走ってしまっているところが多分にあるため、
前作のけーもこ楽曲のようなわかりやすさが相当に失われてしまったというのが
作った側の懺悔ではあります。(わかってやってしまったので反省ではないです)

何しろ上記のような内容が一つの説明もない上に
そういうある種の仮定から派生したいくつかの演繹をもって9トラックを埋める、
という実に回りくどい不親切な作り方をしているものですから
今更ながらにしてこのような無粋な注釈を作者自らするものであるわけです。
どうもすいません。



既に長いんですが突っ走っていきます。
原曲のチョイスを「月時計」じゃなくてこっちにしたのは
もうひとえにこっちのがメロが好きだからっていうのと
あさなさんの高音が生きそうなのは
流れるような旋律のこっちかな、とか
まあいろいろあるわけなんですが、
歌詞的にはとにかく「抽象的過ぎる」というのが一番のポイントかと。

人称も主体もあやふやになっているのでとにかく分かりづらいんですが、
というのも作ってるうちからどうも本作は物語や音楽のような時間の芸術じゃなく
絵画やデザインのような空間の芸術なのではなかろうか・・と思うようになっていて。
最終的には
「レミ咲」という一枚の絵画を9曲の音楽で表現する
というなんとも中学生的なチャレンジになったなあと
今にしては思う次第です。

表現的なところでは、例えばそれぞれの登場人物を主体として描写する中で
こうしたら→こうなった、という時間的な順序性をなるべく廃して、
絵を見るときにいろいろな箇所に着目して見ていくように
全てのパッセージが並行して一つの(またはいくつかの)情景を描くよう
心がけているっていうのがポイントでしょうか。
あと人称名詞を意図的に使わないことで、主体となる特定の人物がいなくなるよう
気を使って書いています。
あるいは、この楽曲は咲夜の曲でもレミリアの曲でもなく
「レミ咲」の曲なんだ、というのを主張したかったというのもあり
特定のどちらか目線で描くことをしたくなかった、とも言い換えられるところ。


前段ではレミリアと咲夜の関係性について非常に強いものを感じた、
と申し上げたわけなんですが
法外に長生きだったり永遠に生きたりする連中のことですから
自分の能力でもって特定の人物を自分の傍に置いておくという処置に
一体どんな意味があるか、というのはスゴイ気になるじゃないですか。
我々に伝わっていないドラマがあったのか
それとも、単なる気まぐれなのか・・

とまあ、徹底的にレミ咲を考える!という意味では
個人的に結構突き抜けられた気がしていまして。
少なくとも作ってる側は満足です。



ちなみに作品を通してもう一つやりたかったことがありまして。
自分の為にも書き記しておきたいといのもあり、次回更新時にでも
トラック9「沈まぬ太陽」の事後研究としてやってきたいなと、
こう思う所存でございます
むきゅん!
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2009.12.02 07:45 | 製作一般 | comment[0] trackback[0] TOP↑
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